プロフィール
山崎 誠 (やまざき まこと)
1962年生寅年。武蔵野の面影残る練馬で生まれ育つ。都立西高校、上智大学法学部法律学科卒業、青山学院大学大学院国際政治経済学研究科国際ビジ ネス専攻修士課程修了。横浜国立大学大学院環境情報学府博士課程後期単位取得退学。GISを使った防災、自然環境保全に関する研究を進める。(株)熊谷組、日揮(株)勤務。民主党の候補者公募に応募して政治の世界へ転身、2006年3月より横浜市会議員を2期3年半務め る。2009年8月の衆議院議員選挙に神奈川県第8区(青葉区・緑区)にて立候補、初当選。民主党神奈川県第8総支部長。常任委員会は予算委員会、環境委員会、経済産業委員会、内閣委員会委員等を務める。脱原発を貫徹し子どもたちの未来を守るために2012年11月15日民主党を離党、「みどりの風」を結党。脱原発をもとめる市民の声を結集するため脱原発大連合である「日本未来の党」に合流して衆議院議員選挙を戦うも落選。全国ご当地エネルギー協会事務局長(2017年9月退職)、森びとプロジェクト委員会顧問。2017年10月の衆議院議員選挙に立憲民主党東北ブロックの比例候補として挑戦、当選(2期目)を果たす。2018年9月神奈川県第5区総支部長に就任。立憲民主党政務調査会副会長、エネルギー調査会事務局長、常任委員会は経済産業委員会に所属、特別委員会は東日本大震災復興特別委員会。趣味は自転車、トロンボーン演奏、音楽鑑賞、絵画鑑賞、写真撮影、アウトドア、仕事。
山崎誠は、こんな人生を歩んできました。
これからも皆様の恩を忘れず国政に全力投球いたします。
幼少期、三人兄弟の末っ子。
昭和37年11月22日、東京都練馬区に生まれる。男ばかりの3人兄弟の3番目、女子が切望されていたところにまた男子。父は助産婦さんから「子どもは何人いてもかわいいですね」と慰められたとのこと。
当時の練馬区は空き地や野原、湧水の湧く小川が残り、虫とりや草野球など日が暮れるまで夢中になって遊んでいた。自然環境への感性は幼少期に身につきました。
小学生時代はおとなしかったが、中学時代は、副会長をつとめるなど生徒会でちょっと活躍、政治家の基礎はこのころ築かれる(?)
高校時代、青春を謳歌。
都立西高校に進学。片道40分の自転車通学、雨の日も風の日も自転車、試験期間には居眠り運転をしたことも。勉強よりはクラブ活動のブラスバンドに熱中。トロンボーンでとにかくでかい音を出すことに青春をかける。2年生の時、部長を務める。(ちなみに妻は副部長)井の頭公園を舞台にした自主制作映画「ゆがんだ青春」(刑事もの)に家出少年役で出演、記念祭(学園祭)の話題となる。
青春を謳歌した付けがたまって、大学進学まで予備校通い。学費を稼ぐべくホテルニューオータニでアルバイト。田中角栄先生のパーティーでサービスしたことも。ホテル業、天職であったと思う。
大学時代、学問に旅行に忙しく。
上智大学法学部法律学科に進学。国際政治、国際関係論について学ぶ。通常4年からのゼミに3年時から所属。他大学の講座も聴講するなど学問に燃える。(他大学の授業にもぐりこみ見つかてしまうハプニングも)覇権論、カントリーリスク、連繋政治、開発経済論などを学ぶ。ゼミの先生(現在、一橋大学の法学部長)が大のタイガースファンで2人で巨人阪神戦を観戦したのも楽しい思い出。
大学1年の夏に愛車を購入、サイクリングにはまる。大学時代信州、北海道、四国、伊豆など全国を走り回る。卒業旅行で初めて海外へ、ツールドフランスにあこがれてフランス、イタリアを1カ月かけて走る。
熊谷組勤務、現場で汗。
当時、海外の開発事業で急成長していた建設会社の熊谷組に入社。海外勤務を夢見るも、国内の建設現場に配属。3年間多摩センターのレジャービル建設現場に事務担当として勤務する機会を得る。建設工事の表も裏も体験。みんなで力を合わせるモノづくりの醍醐味を知る。
建設現場を離れ本社の人事部、人材開発部。採用業務、人事考課、組織戦略の立案を担当。この時、思い立って青山学院大学大学院国際ビジネス専攻修士課程に入学。MBAを取得する。
日揮勤務、サハラ砂漠に飛ぶ。
海外事業にあこがれて、エンジニアリング会社の日揮に転職。
3年間は採用グループのリーダーとして新卒採用に取り組む。当時、採用したメンバーが今は日揮の中核となって大活躍、採用冥利に尽きる。人事を離れ、応用システム部へ。情報システムの開発、導入プロジェクトを担当する。アルジェリアの国営ガス会社を担当。天然ガス処理プラントの保全管理システムの導入を進める。アルジェリア、サハラ砂漠が第2の故郷となる。その他、コンサルタントとして、化粧品メーカー、アパレルなど様々な会社の業務分析・システム設計を担当。現場の大切さを学ぶ。
市会議員、市民感覚で政治。
小泉郵政選挙の民主党の大敗に接して、日本の行く末に危機感を持つ。岩國哲人衆議院議員からチラシを受け取り、横浜市会議員の青葉区補欠選挙候補者の公募に挑戦、候補者となる。政治経験ゼロからスタートであったが2006年3月の補欠選挙でメール問題の逆風の最中、かろうじて当選。翌年の本選挙では皆さんのおかげでトップ当選を果たす。批判から提案の政治をモットーに現場を歩き、環境、教育、福祉、防災と幅広く提案型政治を実践。
衆議院議員、国をかけた戦い。
2009年政権交代をかけた大切な選挙で候補者に指名され国政に挑戦、小選挙区では敗れるも比例復活にて当選、任期中には、予算委員会、環境委員会、内閣委員会、経済産業委員会、東日本大震災復興対策特別委員会、災害対策特別委員会、科学技術・イノベーション推進特別委員会等に所属。民主党では政策調査会長補佐、国民運動委員会副委員長、福島県対策室副室長を歴任、環境・エネルギー・防災・社会保障・教育政策、東日本大震災からの復興を中心に取り組む。
民主党を離れ新党「みどりの風」結党
2012年11月15日、衆議院解散目前のタイミングで民主党を離党、新党「みどりの風」を結党、結党メンバーとして活動。
脱原発のための大連合である「日本未来の党」に合流
2012年11月27日、「みどりの風」を離れ嘉田由紀子滋賀県知事が代表となり立ち上がった「日本未来の党」に合流し、脱原発のための力の結集をはかるも、2013年12月16日投票衆議院選挙では落選。
新しいライフスタイルへのシフトを目指す
原発に頼らない持続可能なライフスタイル、社会を目指し、NPO法人環境エネルギー政策研究所の特任研究員として自然エネルギーの普及に取り組んだ。全国ご当地エネルギー協会の事務局長に就任。地域主導、市民が主体となった自然エネルギー事業、農山漁村活性化のための自然エネルギーの活用をテーマに全国の市民プロジェクトを支援。地元横浜では非営利型株式会社「たまプラーザぶんぶん電力」を設立、都市型のエネルギーの地産地消モデルの構築、省エネ・節電の普及啓発の事業化に取り組んでいます。
立憲民主党の結党に参加、国政に復帰
2017年10月3日、前日に誕生したばかりの立憲民主党の選挙応援のために門をたたく。福山さんから図らずも立候補をを勧められ、急展開。翌日4日に確認の電話連絡を待ってが連絡なし。実は携帯電話が不通になっていたことが翌朝判明して、福山さんからこっぴどく叱られる。(携帯電話の不調は本当の話です)東北ブロック比例候補として立候補が決まり支度をして、9日には仙台入り、10日からの選挙戦に突入、東北6県を回る選挙キャラバンを展開、当選を果たす。
2018年9月25日の党本部常任幹事会にて、神奈川県第5区総支部長(戸塚区・泉区・瀬谷区)に選任される。
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