憲法改正がいま必要か、可能か

2013年5月6日(月)

憲法問題

自民党が先の衆議院選挙で大勝してから、憲法改正、自主憲法制定といった動きが活発化、次の参議院選挙で争点にしようという話が盛り上がっています。まず、憲法を改正しやすくするために96条を改正し改正の発議要件をゆるめる(両議院の2/3の賛成を必要とするところを1/2にする)ことをまず決めてしまおうという全く本末転倒の主張も声高に叫ばれています。
そもそも憲法は日本国の最高法規であって、国の理念を決めているものです。一般の法律とは次元を異にするものであり、簡単には改正できないように、国会の発議(2/3の賛成)、国民投票といった手続きを定めています。もちろん時代の変化にあわせて改正が必要となることもあります。そういった場合でも、最高法規たる憲法は、より厳格に多くの確かな賛成の元でなければ改正できないようにしているのです。もし、改正が必要な点が本当にあるならば、96条の改正を考える前に、2/3の賛同を得る努力をすべきではないか。それが、憲法に従って国政を行う国会議員の責務です。
また、立憲主義の観点から、政治権力の側から権力の都合のいいように憲法改正を進めようとするのも誤りです。立憲主義とは、憲法は国民の権利を保障するために国家権力を縛るというものであり、憲法の考え方の基本中の基本です。日本国憲法は国民のためのものであり、国家権力のためのものではありません。その点をしっかりと認識しなければ国民を守る憲法そのものがゆがめられる危険があります。
自民党の日本国憲法改正草案には多くの専門家から疑問の声があがっています。憲法の理念に抵触するような改定、例えば、立憲主義から非立憲主義へ、平和主義から戦争をする国へ、国民主権の後退、国民の義務拡大、表現の自由の制約、人権保障の後退等、まともに議論すればとうてい受け入れることのできない時代の逆行を目指す憲法改正といわざるを得ません。こうした事実を曖昧にしたまま、96条から改正し数合わせをして一気に憲法を改正しようという政治の動きは大変危険です。こうした改正をめざす改憲勢力を次の参議院選挙で勝たせるわけにはいきません。

いま、問われる日本国憲法の意義

いま、なぜ憲法改正が必要か。一つには「現行の日本国憲法は占領下に押しつけられた憲法だから今の憲法は早く捨てて自主憲法を作るべきだ」という主張があります。(いわゆる押しつけ憲法)確かに占領下に作られた憲法であり日本国民が主体的に作った憲法とはいえない側面があることは事実です。しかし一方では、多くの国民が「マッカーサー草案」(これをほぼそのまま採用した日本国政府の「憲法改正草案要綱」1946年3月6日)を支持したという事実もあります。憲法の生い立ちももちろん重要ではありますが、さらに重要なのは中身です。押しつけられた面があるにせよ、私たちがあの悲惨な戦争を経験して得た日本国憲法は、戦争のない国、世界を作りたいとの祈りの結晶ではなかったか(この想いは国を越え人種を越え共有されたはず)、基本的な人権が守られた恒久平和を基礎とする国を作りたいとする日本国民の願いが込められていると理解しています。今、国際的な緊張が高まるなか、さらに多くの国々で人権の侵害が続くなか、私たちの日本国憲法の理念こそ世界に求められているもののはずです。決して武力では国は守れない、核をはじめとする軍拡競争の愚かさを人類は、20世紀の歴史を通して学んできたのではなかったか。私たちはいまそうした克服された議論を繰り返してはならないと思います。平和や人権に関する問題で憲法改正の必要はない、改正はすべきでないと考えます。

理想と現実

「日本国憲法の平和主義は理想を語っているにすぎず現実はそんなに甘くない」という主張もあります。確かに、ミサイルの発射を予告し核武装を進める北朝鮮や軍事大国化する中国などの存在を考えると日本ももっと軍備を充実させるべきとの主張も説得力を持ってくるのかもしれません。しかしながら、日本にはすでに自衛隊が存在し、世界的にみても防衛力という点では一定の水準を確保している、これ以上、武力を増強することで国の総合的な防衛力はどれだけ高まるかという点を考える必要があります。(日本が軍備を増強すれば他国が反応してさらなる軍拡につながる)問題は、理想と現実のギャップをどのように埋めるかです。今問われるのは現実を理想に近づける努力をどれだけしたかではないでしょうか。例えば、個人の思想信条は尊重するとしても、国会議員や閣僚が勇んで靖国神社を参拝する行為などは、憲法の定める「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するという理想に反する行為といわざるを得ません。理想に近づこうとせず、理想を現実に合わせようとすることからは新しい世界は生まれません。理想を掲げその理想のもと実践を重ねてゆけば、理想と考えていたものが、現実の国際交渉や国際関係の駆け引きの中でも力を発揮するのではないか。それが理想の実現にほかなりません。

憲法を使いこなせているか

例えば「衆議院も参議院も同じように政局政治を展開し、政党間の足の引っ張り合い、数と駆け引きの政治を行っている。二院制は意味がない、憲法を改正すべき」と主張されます。しかしながらこうした機能不全を引き起こしているのは誰かを考えるべきです。非難されるべきは憲法の趣旨に添って議会を運営していない国会議員であって、日本国憲法ではありません。国会議員はあてにならないから憲法を改正して制度を変えなければならないというならば、それはまさに国会議員の自己否定です。自衛隊の問題から家族の問題、地方自治の問題などいずれも、憲法の問題というよりも、運用の問題、憲法の使いこなしの問題ではないか。どうしたら、平和を守れるか、国民一人ひとりの幸せを実現できるのか、日本国憲法が想定する理念のもとでできることはたくさんあります。(参考:浦部法穂、憲法学教室)

憲法改正の視点、次世代の基本的人権の尊重

憲法を絶対に改正をしてはいけないという立場はとりません。憲法を改正するとするならば、自然環境との調和の視点、生物多様性の維持、生態系全体の保全といった視点から、国の行為や私権の行使に一定の制限をもうけるべきと考えています。地球環境は我々だけのものではなく、次の世代のものでもあるとの前提に立てば、私たちが何をしてもよいという事では決してないこと、人類が地球の存続に関わるほどの力(核や遺伝子組み替え、生物多様性の破壊する開発など)を持つに至った現代、私たちの行動、行為にも一定の歯止めがどうしても必要となってきています。それを「自然環境との調和」という言葉で表現できないか。次の世代の健康で文化的な生活を保障するために私たちの生き方を見直す。世代を越えた基本的人権の調整が自然環境の保全という場面で重要になります。憲法の大切な原理である「公共の福祉」の制約の拡張型として「自然環境との調和」という概念を入れることができないか、今後、考えてゆきたいと思います。

現在の国会に憲法改正の許容性はない

先の2012年12月の衆議院選挙で自民党が大勝、衆議院では改憲派が多数を占めたという。しかしながら、この選挙の投票率は戦後最低の59.32%、棄権と無効票を「白票党」として議席に反映する試算結果をみると、白票党は382議席を取得、第2党の自民党43議席と圧倒的な差を付けての最大党となることが指摘されています。(佐藤裕一氏・回答する記者団の試算)選挙が正しい民意を反映していないという事実、国民の政治に対する無関心・拒否反応、いまの日本には正しい民主主義は存在していないといわざるを得ないのではないか。形式的な民主主義ではなく、実質的な民主主義が確立できなければ、国の根本である憲法改正は行えない。正しい民意を反映できる国会、民意を醸成するために不可欠な健全な情報の流通、自由で闊達な国民的議論の実現など、憲法改正のために実現しなければいけないこと、必要な改革は多く残されたままです。政治にも国民にも突きつけられた根本問題です。

脱原発で30年。山崎誠はぶれません。
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山崎 誠

(やまざき まこと)

衆議院議員 立憲民主党神奈川県第5区(戸塚区・瀬谷区・泉区)総支部長。

立憲民主党政務調査会副会長、エネルギー調査会事務局長。経済産業委員会、東日本大震災復興特別委員会委員。

環境・エネルギー・地方創生・社会保障政策・教育政策を中心に活動を展開。

元横浜市会議員、日揮株式会社、株式会社熊谷組勤務。

山崎誠政策研究所代表、森びとプロジェクト委員会顧問、よりそいサポートネットワーク事務局長等

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